恋とは、そもそも何なのだろうか・・。理屈や理論とは別に動き出すその感情は、ただの勘違いや気の迷いだと言う人も居れば、生涯を尽くすべきものだと言う人も居る。

「恋愛」という単語を辞書でひくと、「男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい」と簡潔に記し、さらに「恋い慕う」は「恋しく思って追い従おうとする。恋慕する」と記す。その「恋しい」は「1 離れている人がどうしようもなく慕わしくて、せつないほどに心ひかれるさま」「2 (場所・事物などが)慕わしい。なつかしい」と歴史的用法を踏まえて説明する。『広辞苑』

誰かのことを好きになり、恋をしてしまうとそれは弱みであると同時に、あなたの心の中に一筋の光と強さを宿す。人間は恋をしている時としていない時とでは、かなり色々な面で能力の差があるのではないだろうか・・と、私は思っている。それは、ある場面では集中力を低下させる、完全なる能力の低下であり、またある場面では普段では不可能なことを可能にしてしまうほど、想像以上の能力を発揮したりもする。

相手の言動で一喜一憂し、その人の為に自分を磨き、喜んでもらおうと最善をつくす。その人の顔を見てはトキメキ、言葉を交わせば有頂天である。

しかし、そもそも、私の中で「恋愛」の「恋」と「愛」は全くの別物だと思っているのですが、どうして「恋愛」と並べて一つの単語になっているのでしょう?それをいつも不思議に思います。共通点は「相手を想う」と言う事でしょうか?

私の中では、「恋」とは少し未熟な感情というか・・。「あの人が好き」「会いたい」「さわりたい」「愛されたい」という自分本位で我儘な一方的な想いであったり、状況な気がする。まあ、カップルになりたての男女は完全にまだお互いに「恋」をしている状態で、自分本位な感情が実ったばかりの幸せな瞬間であるので、それも「恋」であることに間違いはないのですが。

付き合って数年経ってくると、「恋」は徐々に形を変えていきます。以前のようなトキメキや高揚感はなくなり、代わりに信頼や安心感が与えられます。それを「馴れ合い」や「マンネリ」と呼ぶ人もいるかもしれませんが。他人に安心感を得られるなんて、とても幸せな状況です。お互いの存在に感謝をして、大切にしなければいけません。

自分本位に要求を持っていた「恋」の状態から、「あの人を守ろう」「あの人を支えよう」「ふたりの為にこのほうが良いだろう」と相手や、2人が主体の考え方を持つようになります。それはきっと、「愛」という状態なのだと、私は思っています。

いつも、恋愛が長続きしない。どうしてあの人は、こんなこともしてくれないのだろう?と不満を思っている人は、まだ「恋」という一方的な感情で動いているだけで、相手を傷つけたり、疲れさせてしまっているのかもしれませんね。そうなってしまっては、相手の負担になりかねません。自分の言動を見直して、自分の要求を相手にぶつけるだけではなく、相手のことを考えて自己犠牲を厭わないくらいに相手を「愛」してあげることができれば、自然と相手もあなたを「愛」してくれるのではないでしょうか?

ただ、「愛しさ余って憎さが百倍」なんて言葉もありますから、相手を好きになりすぎるが故に、相手から裏切られたりその思いが通じなかったりして、相手を嫌いになり始めると、嫌いという気持ちが好きだった気持ちを上回ってしまうこともあります。「愛しい」と「憎い」は真逆の様で紙一重でもありますから、そうなった時は相手を憎みすぎないように気を付けましょう。大きな心で相手を許すか、きっぱりサッパリ諦めて前に進みましょう。

まあ、なかなか思い通りに行かないのが、人の心ってモノですからね。
 



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