筆者の高校・大学時代の友人に、細野不二彦という男がいます。不二彦というとちょっとペンネームのように聞こえるかもしれませんが、れっきとした本名です。漫画に興味のあるかたなら彼の名前はご存知かと思いますが、学年が同じ(学校は違いますが)浦沢直樹さんとともに「手塚治虫の後継者」と並び称される、現代のわが国を代表する漫画家です。細野と筆者は大学2年生時代の1年間ずっと机を並べて過ごした仲です。

中学・高校じゃあるまいし席が決まってるわけでない大学で何でいつも隣だったかと申しますと、われわれが居た大学の経済学部ということろでは2年生終了時点までに必修科目の数学の試験に合格して単位を取得できないと放校になるため、背水の陣で二人並んで再履修の数学の講義を聴き、協力し合って何とかギリギリの点数で3年生に進級したという仲だったのです。


【漫画家・細野不二彦は、ぼそっと呟くように話す目立たない少年でした】

この細野と過ごした時間の中で、筆者には今でも忘れられない思い出がひとつあります。いつものように難解な数学の講義を聴いている最中に、細野が「こないだ、親父が死んだんだ」と、唐突に、ぼそっと呟いたのです。当時、細野も筆者も19歳(細野は12月2日生まれで筆者は一日遅れの12月3日生まれ)でしたから、まだ実の父親が亡くなるには早い年齢でした。おそらく、お父上はご病気だったのだろうと思います。筆者はびっくりすると同時に、親の庇護のもとにぬくぬくと大学なんかに通っていた自分と違い、「家族の生活を支えるために、俺、プロデビューするから、数学以外はあんまり授業出られなくなるかもよ」と言う細野の姿に、筆者は授業中にもかかわらず、思わず声を出して泣いてしまったのです。そんな筆者に細野は、「俺のために泣いてくれて、ありがとう。でも俺、大丈夫だから。じゃあな」と、またぼそっと呟いて、去って行ったのでした。もの静かで目立たない細野から逆に励まされた、筆者にとっては大切な37年前の思い出の一コマです。


【代表作『ギャラリーフェイク』の主人公・藤田玲司は「本物」を見分けることができる男】

そんな旧友・細野不二彦くんが30代のはじめ頃から『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)に連載をはじめた作品に、『ギャラリーフェイク』があります。安アパートに暮らすアラフォーの独身男・藤田玲司(フジタ レイジ)は東京のウオーターフロントで贋作や複製品といった絵画や美術品を専門に扱うアートギャラリー「ギャラリーフェイク」の経営者なのですが、業界における藤田への評価は「ブローカー」。贋作を闇から闇へ横流しして不法な利益を得ているのではないかとの、もっぱらの噂です。幼少期の貧困生活、貧乏美大生時代、ヨーロッパ無銭旅行を経てニューヨーク・メトロポリタン美術館(略称:MET)のキュレーター(学芸員)となって活躍した経歴を持ちながら、その卓越した審美眼と鑑定眼は同僚たちのやっかみを買い、その地位を追われてMETを退職します。

藤田にはひとつの信念があります。それは、「作者の魂を理解せず、絵画や美術品を単なる金儲けの道具や、権力・権威にすり寄るための手段としてしか考えられないような、美術品の本当の価値を理解できないような人間、美術品を見る眼のない人間には、本物を所有する資格は無い。そんな輩には偽物を握らせておけばよい」というポリシーです。

こういった藤田のポリシーによって展開されるワクワク・ドキドキの物語が『ギャラリーフェイク』の真骨頂なのですが、その物語は推理サスペンスの要素もコメディの要素もラブストーリーの要素も社会問題の問題提起の要素も併せ持ち、単なる美術業界の話しに留まっていません。とにもかくにも藤田の“本物を見分ける眼”は圧巻で、しかもそういった有能さを決して表に出さず、安アパートに住みつづけるところがまた、とてもカッコイイのです。


【藤田玲司は細野不二彦自身? 】

『ギャラリーフェイク』の全体に流れるこのトーンは、巨匠・手塚治虫の名作『ブラックジャック』を彷彿とさせるものがあります。この点は多くの漫画ファンも指摘するところですが、筆者固有の感想を一つ言わせていただけるのであれば、「藤田玲司は細野不二彦自身なのだ」という点を指摘したいと思うのです。何故ならば細野は十代の少年であったあの当時から、“偽物”が嫌いで“見せかけの華やかさ”を好ましく思わない男だったからです。細野と筆者が並んで数学の講義を聴いた1979年、わが国は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という社会学者エズラ・ヴォーゲルによる著書がベストセラーとなり、やがて訪れるバブル経済に向かって今や死語となった「日本的経営」の素晴らしさをアピールし、享楽的で慢心した空気が巷には漂っていました。大学のキャンパスも例外ではなく、キャンパスの一部の場所はまるで合コン会場と化したような雰囲気すらあったのです。

細野はそんな“偽物”のキャンパスに目もくれない男だったのです。彼にとっての大学は筆者とともに難解な数学と格闘し、休み時間には図書室の硬い机で家族の生活費を稼ぐために漫画を描きまくり、気鋭の美術史学者の講義に聴き入る、「本物の青春を生きる場」だったのだろうと思うのです。また、時は流れて2013年、細野は親しい漫画家仲間に呼びかけて、<ヒーローズ・カムバック>という、東日本大震災で家族を亡くした子どもたちを支援するために大ヒット漫画の新作を読み切りで発表するという画期的な企画を成功させるのです。十代でお父様をなくした細野らしい、“本物”の復興支援です。この企画の収益・印税は全て被災地の子どもたちに寄付されました。


【本物を見る眼も描く腕も、描いては意見を聴き、また描いてはまた意見を聴きの繰り返し】

かわくぼ香織さんという、細野のアシスタントをつとめた漫画家の先生のブログには、まだ駆け出しだった頃に師匠の細野から、「こんな作品はつまらない、などと自己判断せずに、とにかく物語を作って描き、描いたら人に見せなさい」とアドバイスされたというエピソードが書かれています。これも、とっても細野らしい助言だと思います。まず、描かなきゃはじまらない。描いたら人の意見を聴いて、また描く。この繰り返しでしか、人の心に響く本物の漫画は描けないということなのでしょう。


最後になりますが、今回このコラムを書くにあたって、筆者は細野に何の連絡も取っておりません。何故ならば、このコラムは一種のアンサーソングだからです。37年前、「俺のために泣いてくれて、ありがとう。でも俺、大丈夫だから。じゃあな」と言って別れた細野への、筆者からのアンサーソングだからです。アンサーソングを歌うときに、聴かせたい本人に「アンサーソング作ったから聴いてくれよ」と連絡する人はいませんよね。「やっぱりきみは大丈夫だったね。あれから後のきみの活躍ぶり、尊敬してるよ。今度は俺が書いたエッセイも読んでみてくれ」という筆者のアンサーが、風の便りに乗って細野のアトリエに届いてくれたら素敵だなと思うだけです。だからあえて細野不二彦に連絡をとることはいたしません。




151026M_029r_TP_V

(女子のお悩み解決コラム -WomanNews ウーマンニュース-)