たとえば、東日本大震災の時。当時放送されていたCMは企業による自主規制によって、ほとんどがACのCMだけになってしまいました。未だに「ぽぽぽぽぽ~ん」のフレーズが頭にまだ残っている方もいらっしゃることでしょう。さて、この自主規制とは誰のためのものなのでしょうか。そして、有事の際によく耳にする「不謹慎」とはどういうことなのでしょうか。

◆自然災害とおもてなしの国、日本

日本という国は、次々に自然災害の起こる国です。「天災は忘れた頃にやってくる」とはまさに言葉通り、今回の熊本地震のような大きな地震、河川の氾濫や土砂崩れを起こす台風など、人々の生活を脅かす有事が容赦なく訪れます。もしかすると、自然が豊かだからこその弊害なのかもしれません。

更には、日本はいわゆる「おもてなし」の国。人の気持ちを読み取って先回りした(空気を読んだ)行動をとったり、言葉がまっすぐ言葉通りではない意味を持っていたり、相手に嫌な気持ちをさせないように立ち居振る舞うのに長けています。それだけ心の動きに敏感な人が多いわけですが、時にそれを強要してしまうこともあるのです。

◆素直な気持ちを表現しても「不謹慎」だと言われてしまう

続々と芸能人たちが寄付金や応援メッセージなどを送っている最中、日常的な1コマを過ごす姿をSNSに公開した芸能人たちを「不謹慎」だと叩く人たちが表れます。更には被災地に向けてメッセージを向ける人に対しても「偽善者」だと声をあげる人たちがいます。それでは、彼ら矢面に立つ芸能人のような立場の人の正しい行動とはなんなのでしょうか。

確かに多くの人が震災に関心が向いている中で、浮かれた様子を投稿することは不謹慎なことなのかもしれません。少し前まであったはずの日常を送れなくなってしまった人にとって、悔しい思いをする場面なのかもしれません。

しかし、多くの偽善者だと彼らを叩く人たちは、被災地の人ではないでしょうか。被災地も含めて連日のニュースに心を痛めている人も多い今、つまり誰もが気持ちが落ち込みやすい今、人に対してネガティブな言葉を浴びせることは不謹慎ではないのでしょうか。

◆悲しいことは悲しい、優しさは優しさのまままで

私達にできることといっても大きなことはできませんよね。ちょっとした気持ちを送ることであったり、慎ましく生活を過ごしたり、日常を送りながらできる範囲のことしか結局は行動を起こすことができません。歯がゆいかもしれませんが、普通の暮らしを持てるからこそ日常を過ごすことが何よりも大切なのではないでしょうか。

誰でも悲しいことは悲しいままで良いですし、優しさは優しさのままで良いのです。今いる身の周りの人たちを大切にするが、私達が今できることではないでしょうか。人に対する思いやりと気遣いを忘れないことが日常を慎ましく過ごすための大切なもののはずなのです。



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(女子のお悩み解決コラム -WomanNews ウーマンニュース-)