ワーキングホリデービザの良いところは、学校に行きたければ行けるし、働きたければ働けるし、何もしたくなければ何もしなくとも1年間はその国に居られるというところ。普通、観光ビザならせいぜい3ヶ月から長くて半年。ビジネスビザは働かなきゃそこに居られないし、学生ビザなら学校に行かなければいけない。なんてスペシャルなビザなのでしょうね、私は素晴らしいと想う、大好きです。



私は26歳の時に、オーストラリアに行き1年間を過ごしてきました。最初はホームステイをしながら語学学校に通いました。シドニーはとても素敵な街で、私はすぐに好きになりました。日本の常識には当てはまらない、驚くべきことは日々起こっていましたけどね。


例えば、家から最寄りの駅まで向かうバス、まあ時間通りに来ない。来な過ぎて諦めて歩くこともありました・・。最初のころ、料金がよく分からず間違うと嫌なので、払う前に運転手さんに聞くとやけに安い金額を教えられました。後々、それが子供料金だったということに気が付いたり・・。バス停にいるのに、バスが止まってくれなかったり。バスの運転手さんが、急にバスを止めて降り「ちょっと待っててくれ!」と急いでコンビニのような店に駆け込んでいったので何事かと思ったら、何やら袋を持って帰ってきて、「腹が減って」とサンドイッチを食べながら運転を再開したり。

電車は電車で、快速に乗ったはずなのに、各駅停車でしか止まらない駅に電車が止まり、おかしいな・・。と思ったらやっぱりただ運転手が間違ったようで、止まったけどもドアを開けず、無言でまた走り出したり・・。その辺の交通機関のルーズさは、本当に最初慣れなくてくて笑ったり泣いたりでした。



1ヶ月たって少し英語にもシドニーにも慣れてから、アルバイトを探し始めました。まあ、最初の頃の英語力でできる仕事は、かなり限られていましたが。英語のレジメ(履歴書を持って)働きたいと想うお店に直談判。笑。完全に押し売り的な自己アピール求職、初めてで面白かった。もちろん求人誌の様なモノとか、新聞にちらっと求人が載っていたりというのはありましたが、正直あまり惹かれる内容の物はなかったので、ホストマザーのジェニファーが「自分で好きな店にレジメを持って行ってアピールするのが一番よ」と教えてくれたのです。でも最初は怖かったなあ、まだ片言の英語でしたしね。


当時、私は26歳でしたが身長144cmと、人一倍背も低いので、彼らには子供にしか見えません。勇気を振り絞って「あの、わたし此処で働きたいの」と話しかけても「忙しいから後にして」と邪険に追い払われたり、無愛想に「IDは?」と聞かれパスポートを見せても、「これは君のシスター(姉)か何かだろ」と、年齢を信じてもらえなかったり‥。酷い時は「Get out!!」とただ店を追い出されました。笑。数日間そんな悔しい思いをした後に、あるレストランに辿りつき、日本人の経営するお店だったので、働かせてください!と頭を下げると、すぐに面接をしてくれて思いのほかあっさりと採用されました。



シドニーで世界遺産になった一番有名な、あのオペラハウスの真正面にある素敵なレストランだったので心が躍りました。そのオペラハウスがあるCircular Quay(サーキュラキー)駅を降りると、シドニーの市街地とはまた全く違う雰囲気なのです。あの港は、世界の三大美港と呼ばれるだけあって、あそこは本当に美しかった。晴れていれば、太陽の光がキラッキラとまぶしいほどに輝き、夜は息を呑むような美しい夜景を映し出しました。


あの、オペラハウスのあたりの夜景は、正直言って反則なほど本当に美しい。さすが世界遺産になるだけあって、魔法のような情景です。あそこでプロポーズなんてされたら、あんまり好きじゃなくても好きになっちゃいそうなくらい、夜のCircular Quay(サーキュラキー)は素晴らしいのです。オーストラリアに行ったら是非、一見の価値はあります。

そんな素晴らしい景色を目の前に、働くようになったレストランには、私と同じように日本から留学してきた子が何人も働いていました。一生懸命にメニューを覚え、お客様への対応の仕方を覚え働いていました。日本でも接客業をしていたので、それを英語に直すような作業でしたが。仕事となると、英語の必要度は上がり学校の勉強よりも必要に迫られて切羽詰って引き出しを探すので英語力はぐんと上がりました。


半月ほど必死で、そのレストランの為に働き初めてのペイデイ(給料日)。私は意気消沈しました。約束していた時給は12ドル。なのに、10ドルで計算されていたのです。その時のシドニーの最低賃金は13.5AU$くらいでした。約束していた12ドルでも、最低賃金よりも安く違法なのに、たったの10ドルでしか計算してもらえなかった。

悔し泣きをしながら、ホストファミリーマザーのジェニファーに話をすると、ジェニーは「ひどすぎる!」とても怒り、そのオーナーを訴えると言い出しました。さすがに、そんな風に彼女に迷惑はかけたくなかったので、「この店はもう辞めるし、明日自分で話すから大丈夫だ」となんとか、怒り狂う彼女にいいました。ホストファザーのエドワードも、帰宅してからその話を聞き、大変怒っていました。

 

翌日私は、朝同じように店に行き、働きながらオーナーが来るのを待ちました。いつものように横柄なオーナーが店にやってくるのが見え、わたしはカバンから昨日もらった給料袋を出し手に握って待ちました。オーナーが奥のテーブルに座るなり、私はそこへ行き、給料袋を突き出して「お給料が足りません、12ドルでお約束したので計算し直してください」と言いました。すると、オーナーは謝るどころか、「なんだその態度は、給料減らすぞ」と。プチンっと切れてしまった私は、「シドニーの最低賃金は13.5AU$ですよね、ご存じないのですか?」と聞いていました。私の発言にオーナーも立ち上がって切れ、「一体何なんだお前は、あ?そんなに金が欲しいならくれてやるよ!でも2度と店に来るな!!」と私にいくらかのお金を投げつけました。そんなお金を拾う気は微塵も起きず、不満だらけの給与袋を持って「もちろん、2度と来ません!」とその店を去りました。

 

悔しいながらも、これも社会勉強だと思いました。そして、あの嫌なオーナーにはっきり一言物申せた自分を少し誇りに思いながら、家に帰りました。

 

その夜、ジェニーがその会社の悪評を調べて見せてくれました。その会社は、日本人が経営する会社なのに、こうやって留学したばかりで英語があまり上手くない子を安く使っている、悪徳な会社でした。日本人の大人が、日本人の子(留学生)を違法に低賃金でこき使い捨てていたのです。同じ日本人が、です。英語力の無い子や、気の弱い子はそれでも我慢して働いているようでした。わたしには、一晩信じられませんでした。

 

悲しい気持ちの中、ジェニーの美味しい手料理に励まされ、食事の後にエドワードがネットで拾った坂本九さんの「上を向いて歩こう」を急にスピーカーでかけて「日本の有名な歌だろ」と言いながら笑顔で「ゆきに幸運を!」と家族全員で一緒にたのしく踊ってくれてうれし涙が止まりませんでした。


海外で悲しい時に聴く、坂本九さんの「上を向いて歩こう」、格別です。

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(女子のお悩み解決コラム -WomanNews ウーマンニュース-)