この曲は、古いロシア民謡ないしロマ・ジプシーの古謡だと言われている。
一説によると、もともとウクライナの詩人で作家のイェヴヘーン・グレビアンカという人物がウクライナ語の歌詞を書き、1843年にロシア語に直訳して週刊文芸に掲載して出版していたという。それが1884年にフローリアン・ハーマンが編曲したメロディに乗せて歌われるようになった。
アメリカでは “Dark Eyes”(黒い瞳)というタイトルで知られるようになり、1884年に作曲・演出家のエドワード・ライスと俳優・歌手として人気があったヘンリー・ディキシーが組んで603回公演した “Adonis”というブロードウェイのショーにこの曲が使われたそうだ。

この歌をロシア語で歌って世界的に広めたのは、有名なオペラ歌手フョードル・シャリアピンである。彼のこの歌は “Feodor Chaliapin Song Book” などで聴ける。
余談だが、世の中には「シャリアピン・ステーキ」というものがある。これは、1936年(昭和11年)に日本に訪れたオペラ歌手、フョードル・シャリアピンが当時歯痛に悩まされていて、柔らかいステーキが食べたいというので当時「帝国ホテル」の料理長であった筒井福夫氏が考案した。良く叩いて薄くした牛肉を玉ねぎのみじん切りで付け込み柔らかくする。彼の為に作ったステーキだ。

“Otchi-Tchor-Ni-Ya”ないし“Dark Eyes”(黒い瞳)は、当時楽器演奏が多かったようだ。例えば、ドイツに渡ってタンゴになり ”Schwarze Augen”として、オリジナルの旋律にロシア民謡を挿入した演奏が評判になった。アメリカでも多くのビックバンドが演奏している。フランスでもタイトルを ”Les Yeux Noirs”として早くから演奏されていたが、1950年にジャンゴ・ラインハルトが録音し盛んに演奏した。

英語詩で、はっきりしているのは1935年に、名前からするとロシア系?と思われる、バーニス・モロノフと言う人が書いている。この歌詞はとっても、暑苦しいほどに情熱的だ。

「黒くて可愛い瞳 愛と気遣いをたたえた瞳 美しくて誠実そうな君に僕は首ったけだ 星のようにきらりと光る愛の瞳 私の心を捉えた君をもう離さない/ 君の輝く瞳は一層光をまし 僕の心に喜びをもたらす 僕はなんと幸せなんだろう 君に逢い君の微笑みをみると 灰色の空も青空になる 僕のものになって欲しい ねえ君 君は本当に素晴らしい・・」

ボーカルでは、1938年にマキシン・サリヴァンがスイングでカバーし1947年にニューオーリンズ出身コンビ、エドモンド・ホールのクラリネットを入れながらトランぺッターのウィンギー・マノンがユーモラスに歌ったバージョンが注目された。

そして、この曲を“Otchi-Tchor-Ni-Ya”として決定的に有名にしたのは、1953年制作映画、ジェイムス・スチュワート、ジューン・アリソン主演の ”The Glenn Miller Story” (邦題:グレンミラー物語)で、ルイ・アームストロングが取り上げ、かつレコーディングしてからである。私がこの曲を知ったのも、ルイ・アームストロングのアレンジだ。

彼は、オール・スターズを率い、2コーラスをトランペットで吹き、1コーラスを語呂合わせの様な短い歌詞で歌い、続いてドラムソロを交えながらアップテンポで繰り返し演奏して評判になった。彼のこの歌はアルバム ”The Very Best Of Lois Armstorong”などで聴ける。
私も、曲を作り詩を書く人間として、こんな風に世界中を渡り歩き、世の中に愛され、沢山の人にアレンジされ演奏されていく曲と言うのは本当に凄いと思う。なんていうか、もう作者の意図を越えて曲が独り歩きしているようにさえ思える。一体こういった名曲たちはどうやって生まれてくるのだろうか。私にもいつか、1曲でいいから、もし私が死んでしまっても世の中に残るような曲や歌詞を、書いてみたいものだと思ってしまう。

高望みだろうか、でもそれぐらいの夢がなければ芸術なんて続けられないんじゃないかな、なんて開き直ってもみる。いつか世界中の人の心に残る、そんな曲を作りたいのだ。


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画像引用元:NAXOS MUSIC LIBRARY 公式サイト

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