私ごとでたいへん恐縮ではございますが、筆者の随筆を初めてメジャー週刊誌に採り上げ掲載してくださったのは、今は亡き筑紫哲也さんという、当時『朝日ジャーナル』という雑誌の編集長をなさっていたジャーナリストでした。筆者22歳、大学を卒業する直前の1982年3月のことです。無名の新人随筆家の寄稿作品としては格別な扱いの欄(column)に載せていただいた筆者のメジャー・デビュー作品のタイトルは『卒業』。

大学生時代の4年間を振りかえって就職記念のつもりで書いたエッセイは、皮肉なことにそれから四半世紀もの歳月が流れた後に筆者を文筆で暮らす者にさせるきっかけとなります。ところで、日本という国で暮らすわたしたちにとってこの「卒業」という言葉の響きは何故特別なのか。いくつかの“卒業の名曲”を鑑賞することによってその謎に迫ってみました。


【川嶋あいさん『旅立ちの日に・・・』】

生まれる前に実父が行方不明。3歳で実母が他界。児童養護施設から彼女を引き取り育ててくれた養父を10歳で亡くし、16歳のときには養母も亡くした川嶋あいさん。そんな川嶋さんが歌う卒業のうた『旅立ちの日に・・・』(2006年2月1日リリース)は、数あるJ-POPの卒業ソングの中でも別格の存在です。その生い立ちがあるからこそ、国内では東日本大震災の被災者の子どもたちに寄り添い、海外ではアフリカの子どもたちの貧困状況に胸を痛め学校建設を支援。慈善活動家でもある“天使の歌声“を持つシンガーソングライターは、

「桜舞う4月の教室で 波打つ胸をはずませながら 出会った永遠の仲間達 あどけない手交わしたね」

と、歌い出します。

そして、

「あの日かけまわった校庭 笑顔によく映えた光る汗 時に素直になるの嫌って ぶつかり合ってケンカもしたね」

と続けた上で、

「放課後行った常連の店 いつもの駄菓子屋 忘れてないよ 指切りをして 交わした約束 みんなきらめく 陽だまりの粒」

「いつの間にか 時は流れ もう今日は卒業の日 人はいつか旅立つものだけど

いつの日にか またどこかで 会える気がするからね 輝く日々を忘れないで」

と歌うのです。

詞(ことば)を区切る場所にあえてとらわれない歌い方は、誰にでもある小中学校時代の情景と情感をそのまま素直に歌い切りたい川嶋さんの思いの表れととるのがいいでしょう。筆者は今世紀に入ってからのJ-POPの卒業ソングの最高峰は、この『旅立ちの日に・・・』だと思っています。


【荒井(現・松任谷)由実さん『卒業写真(special track)』】

ユーミンさんの『卒業写真』という楽曲そのものについての説明は、たぶん必要ないでしょう。1975年6月20日にリリースされた荒井由実さんのアルバム『COBALT HOUR』に収録されているこの曲は、「一度も聴いたことがない」と言う国民はほとんど存在しないのではないかと思えるほど、あまりにもわたしたちの耳に深くこびりついている20世紀ニューミュージックの卒業ソングの最高傑作です。筆者はその中でも特に、1998年11月6日発売のユーミンさんのベストアルバム『ノイエ・ムジーク』のラストに、初回プレス限定盤のみのボーナストラックとして収録された『卒業写真(special track)』が好きです。

そもそもこの曲、学生時代の大切な想い出である「あの人」を偶然に街で見かけたけれど、あの頃と全く変わらない純真で一途な面影のままであったため、世間の荒波に揉まれて変わってしまった「わたし」には気恥ずかしくて声をかけることさえできなかったという情景をうたっている歌。なのですが、実はこの歌の「あの人」って、「わたし」の同級生や先輩といった“男子学生”ではなく、「わたし」の憧れだった若い男の“先生”なのですね。その事実は後にユーミンさん自身の口から語られており、立教女学院高校という「女子校」出身のユーミンさんにとっては、同世代の男子ではなく男の先生が、ほのかな恋愛の対象だったようです。

1998年リリースのスペシャルトラックでは、当時44歳とまだまだお若かったユーミンさん自身の力強いコーラスと、旦那様でもあるプロデューサー・松任谷正隆さんのキーボードをバックに、その先生への“心情吐露”のようなシンプルさの『卒業写真』を聴くことができるのですが、残念ながら初回限定盤にしか入っていないこのバージョンは、今では中古CD屋さんで見つけるのも困難な状況になりつつあります。


【中学校校長・(故)小嶋登作詞、中学校音楽教諭・坂本浩美作曲 合唱曲『旅立ちの日に』】

冒頭の話しに戻りますが、日本という国で暮らすわたしたちにとって「卒業」という言葉の響きは何故特別なのか。その秘密は、この合唱曲を聴くことによってはっきりします。この『旅立ちの日に』という合唱曲が『仰げば尊し』を超える卒業の歌として広く愛されるようになった理由は簡単です。“先生ではなく生徒が主人公”であることを言葉にした歌だからです。そしてそれを、荒れていた中学校を歌の力で明るくした校長先生から子どもたちへ(自分の教え子のみならず、これから生まれて来る未来の子どもたちに向けても)贈ったからです。

この、「子どもや若い人たちに託し行く世代」が「これからの時代を切り拓く子どもたちの世代」を祝福する潔さと愛が、日本語の卒業という言葉にはコンセプトとして凝縮されているからなのです。

「白い光りの中に 山なみは萌えて 遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ

限りなく青い空に 心ふるわせ 自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず

勇気を翼にこめて 希望の風にのり このひろい大空に 夢をたくして

いま 別れのとき 飛び立とう 未来信じて

弾む若い力信じて このひろい このひろい 大空に」

1991年早春。当時埼玉県秩父市立影森中学校の校長であった小嶋登先生は、歌声の響く学校を作るという試みの集大成として音楽の坂本浩美(現・高橋浩美)先生の依頼を受け、卒業して行く生徒たちへ贈る歌の詞を作ります。坂本先生はその詞にちりばめられた言葉のあまりの素晴らしさに、わずか15分で曲をつけてしまったということです。「3年生を送る会」で小嶋校長先生自らが歌ったこのあまりにも美しい曲は、その美しさゆえにあっという間にまわりの小中学校でも卒業式で歌われるようになり、20世紀の終わり頃には日本全国の小中学校の卒業式で歌われるようになりました。


余談ですが、川嶋あいさんの『旅立ちの日に・・・』に『・・・』がついているのは、誰も声に出しては言いませんが、おそらく子どもたちを心から愛した教育者・小嶋登校長先生への敬意から、小嶋先生が作詞した歴史的名曲と区別するために川嶋さんがあえて『・・・』をつけたのではないかと、筆者は勝手にそう考えています。いずれにしても卒業は、男子以上に女子の大切な想い出であり、それは女性が命というものを脈々と繋げて行く性であることと無関係ではないのかもしれません。




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