いきなりですが、永遠の問いかけを一つ。女子らしさ(フェミニニティ)と知性(インテリジェンス)は共存共栄できるのでしょうか?

経済、医療、法律、情報通信、政治、文芸……。分野を問わず、ある程度知的なフィールドで男性と一緒に日々闘い、生計を立てていらっしゃる女性は多いはず。そんな毎日の暮らしの中で、「こんなときにもうちょっと女らしく振る舞えたら、わたしにたいする見方も違ってくるのかなあ」と思ってしまうことはありませんか。

今から40年以上も前に、そんな女子の永遠の悩みである「女性らしさと知性は共存共栄できないの?」という命題に正面から向き合い、公開後どれほど時が流れても知的フィールドで働く女性たちからずっと支持されつづけているアメリカ映画があります。『追憶(The Way We Were)』という作品です。

【映画『追憶』のあらすじ】

1973年に公開された、シドニー・ポラック監督によるこの『追憶』という作品は、いま50代の後半から60代にさしかかったくらいの人であれば一度は観て涙したことがあるのではないでしょうか。1937年のアメリカ。アイビーリーグの大学と思われるキャンパス。リベラルな信条の持ち主で反戦運動に携わるユダヤ系の苦学生ケイティ(バーブラ・ストライサンド)と、ハンサムでスポーツ万能かつ文才にも恵まれた白人で中産階級の男子学生ハベル(ロバート・レッドフォード)はそこで出会い、趣味も違い、取り巻く友人たちもまるきり違う中でお互いを尊敬し合いますが、卒業を機に離れ離れになって行きます。

1940年代前半、第二次世界大戦下のニューヨークで放送局に勤務していたケイティは、同僚と立ち寄った酒場で海軍大尉となっていたハベルと偶然の再会を果たします。学生時代からハベルの文才を信じつづけてきたケイティは、退役後の目標など何も持っていない享楽的なハベルに本格的に作家活動をすることを奨めます。ケイティが見抜いた通りハベルの文才は開花し、1946年、脚本家としてハリウッドに渡ります。

二人は結婚し、子どもも授かります。幸せの絶頂のように思えました。ところがハリウッドでは1947年頃から、チャーリー・チャップリンのような優れた映画関係者をも追放する「赤狩り」(実際には「リベラル狩り」)という政治的な動きが吹き荒れるようになり、そのような理不尽な圧力に黙ってはいられないケイティは左派の政治活動を再開します。しかし、既にハリウッドの一員として名声を得ていたハベルには、ケイティの知的活動は全てを失う危険性をはらんだものであり、二人の仲に亀裂が入りはじめます。

ケイティとハベルは、本当にお互いのことを理解しており、本当に愛し合っていました。それでも、続けることのできない愛がそこにはありました。結局、子どもはケイティが育てることとし、二人は離婚します。ハベルは学生時代からのつき合いの、軽めのお嬢さん系女子と再婚し、ケイティもまた彼女の娘を可愛がってくれる男性と再婚します。

1950年代初頭のニューヨーク。プラザホテルの前で二人はまた偶然に再会します。ハベルはテレビの脚本を書く売れっ子作家になっており、ケイティは草の根の市民運動で核兵器反対の署名を集めていました。

「Is he a good farther?(今の旦那さんは娘に優しいかい?)」
「Yes,Very(ええ、とても)」
「Good(よかった)」
そう言うとハベルはケイティが配っていた核兵器反対のビラを受け取り、
「See ya(じゃあ、またいつか)」と言って別れるのです。

【映画の公開から四半世紀も経つというのに超人気テレビドラマに影響を与えた「女子らしさと知性」の問題】

筆者の拙いあらすじ書きなどを読むよりも百聞は一見にしかずで映画『追憶』のDVDを借りてきて観ていただければ、この映画の素晴らしさはわかっていただけるかと思いますが、何しろ半世紀近く前に公開された古い映画ですから、解説を兼ねた筆者によるあらすじ書きもまるっきり無駄ではないかもしれません。

本質的には合わない女性と男性が、それでも深く愛し合う。愛し合っているのに、お互いのことを思ったら別れるのがベストである。この映画はそういった恋愛にまつわる永遠のテーマを、しっかりとした歴史考証に基づいて正面から描いているといえます。

その一方でこの映画は、冒頭で少しだけ触れたように、女性における「知性」とか「知的信念」といったものが、女性らしい「可憐さ」や「はかなさ」、「女性らしさ」といったものと両立し、共存共栄できるのだろうかという問題提起を、現代に生きる女性たちに投げかけている面があります。

それを如実に物語っているのが1998年から2004年にかけて放送されたアメリカの人気テレビドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ(Sex and the City)』のシーズン2最終話(1999年10月3日放送)です。

【『追憶』と『Sex and the City』】

『Sex and the City』はニューヨークに住む4人の30代の独身女性の暮らしを描いたアメリカの超人気テレビドラマで、『ニューヨークスター』紙に『Sex and the City』というタイトルのコラムを連載するコラムニストであるキャリーが主人公。この人気連続ドラマの1999年に放送されたシーズン2最終話は、主人公たち4人が映画『追憶』について語り、そのテーマソングを大合唱するという話だったのです。公開から四半世紀も経った映画を大人気テレビドラマが丸ごとパロるというのは、筆者の記憶では他に例を知りません。

キャリーが、元カレで“いいとこの坊っちゃん”であるビッグから、“お嬢さま”との結婚を告げられたことについて友人のミランダが「彼はハベルだからね」と言うと、キャリーは、「女には2種類あるんだ。普通の女とケイティな女(There are ‘simple’ girls and the ‘Katie’ girls)」と言い、「私はケイティよ」と自らに言い聞かせるのです。

キャリーがビッグの前髪に触れながら「可愛い奥さんね、ハベル」と言い残して去って行く場所も、こともあろうにプラザホテル前。完璧なるパロディであります。

キャリーのような、知的職業で生計を立てる現代のアメリカ人女性をして、「私はそう、ケイティなのよ」と自分に言い聞かせなければやってられないという事実。やはり、女性にとって女性らしさとインテリジェンスを両立させるということは、並大抵のことではありません。だからこそ『追憶』は恋愛映画の決定版なのであり、永遠に答えの出ない「女性らしさと知性の共存共栄」という命題について、わたしたちに考えさせつづけるための教科書なのではないかと、思えてくるのです。



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(女子のお悩み解決コラム -WomanNews ウーマンニュース-)