2016年2月20日付のWomanNewsに掲載された拙文『現代に伝えたい 本当に「ロック」しているJ-POPスターは誰?』では、尾崎豊さん、忌野清志郎さん、沢田研二さんというわが国を代表する3人のロック・ボーカリストを取り上げさせていただきました。

このコラムの中で、今も健在のアーティストということもあるのでしょうが、思いのほか「沢田研二さん」についての反響が大きかったものですから、今回は沢田研二さんが1971年にリリースした、“一度聴いたら全世界中の女子がしびれる”珠玉のラブソング『君をのせて』について、お話しさせていただこうと思います。

【「日本が一番よかった時代」の1970年代を駆け抜けたソロ歌手・沢田研二の記念すべきデビュー曲】

1971年1月にザ・タイガースを解散し、同年2月には「日本のプラスチック・オノ・バンド」を目指したPYGに参加した沢田研二さんでしたが、渡辺プロダクション所属といういわゆる「日本の芸能界に棲む芸能人」としての制約とは、無縁でいることはできませんでした。PYGはわが国では「早すぎた実験」で、「永遠に成功することのない実験」でした。

そんな中でもソロ歌手として活路を見出そうと模索していた沢田さんは1971年10月3日に「合歓の郷ヤマハ・ミュージックキャンプ」で開催された「合歓ポピュラーフェスティバル‘71」にこの楽曲『君をのせて』を引っ提げて参加します。

この年のポピュラーフェスは上条恒彦さんが小室等&六文銭をバックにして歌った名曲『出発の歌~失われた時を求めて~』がグランプリを受賞した大会で、ザ・タイガースであれほどのアイドルであった沢田さんが、赤い鳥、ガロ、トワ・エ・モア、中山千夏、ヤング101といったフォークの人気者たちに混じって単身で挑戦するという、沢田さんにとっては本当に“孤高の武者修行”とも言える大会でありました。

風に向いながら皮の靴をはいて 肩と肩をぶつけながら 遠い道を歩く
僕の地図はやぶれ くれる人もいない だから僕ら肩を抱いて 二人だけで歩く
君のこころ ふさぐ時には 粋な粋な歌をうたい Ah… 君をのせて夜の海を 渡る舟になろう
<岩谷時子・作詞 宮川泰・作曲 『君をのせて』(英題「My Boat For You」)より>

ずっと“バンドのリード・ヴォーカル”として歌ってきた沢田さんは、ソロでこういった「歌い上げるうた」を歌うのは、最初、気恥ずかしくて嫌だったそうです。合歓でのポピュラーフェスのあと出演したテレビの歌番組でも「のどはカラカラ、脚はガクガクで歌っていた」と述懐しているほどです。

しかしそれにしては、何て素晴らしい歌唱なのでしょう。日本の歴史上、「一番よかった時代」と言われる1970年代をソロ歌手として駆け抜けた沢田研二さんのソロとしてのデビュー曲となったこの珠玉のラブソングは、Webの動画サイトで視聴することができますので、まずは一度、実際にお聴きになってみてください。こんなラブソングを贈られた女子は、「もうどうなってもいいわ」みたいな気持ちになってしまうのではないでしょうか。
<参考:沢田研二 君をのせて

【男同士の友情の歌とする説もあるが、田中裕子さんに向けて歌ってるヴァージョンを見るとどうみても“愛の唄”】

この『君をのせて』という楽曲、作曲者である宮川泰さん自身が「ぼくの最高傑作」と言っているように、音楽的にも美しいメロディーと広い音域が特徴的な名曲であり、「アァ~ 君をのせて夜の海を渡る舟になろう」という部分の音域が通常のポップスの楽曲ではありえないくらい高低に広く、これを難なくしかもあまりにも艶っぽく歌いこなしてしまう沢田研二さんというヴォーカリストは、間違いなく「天才」です。

詞に関していうなら、当時沢田さんと親交があった久世光彦さんは「男同士の名曲」と評していますが、筆者は沢田さんが現在の妻である田中裕子さんに向けて歌っているヴァージョンの動画を見る限り、これは「ラブソング」以外の何物でもないと思っています。
<参考:君をのせて 沢田研二(田中裕子と)

【『君をのせて』があったから、『危険なふたり』があり、『勝手にしやがれ』がある】

1971年11月1日に沢田研二さんのソロデビュー・シングルとして発売された『君をのせて』はオリコン・チャート最高順位で23位と、けっして「大ヒット」したわけではありませんでした。その営業上の意義はむしろ、沢田さんが大手芸能プロダクションの資金力とプロモーション力をフル活用し、70年代を通して「歌謡ロック」の旗手としてその歌唱力を割り切って見せつけて行くうえでの大きな教訓となった点にあると、筆者は思っています。

『君をのせて』が静かな反響にとどまったからこそ、1973年の『危険なふたり』や1977年の勝手にしやがれ』の大成功があったと、とらえるべきでしょう。割り切った歌謡ロックのパフォーマンスは1980年代最初の日にリリースされた糸井重里さん作詞の『TOKIO』で頂点を極めます。沢田さんは日本が一番よかった黄金の70年代を、文字通り時代の寵児となって、駆け抜けて行ったのです。

【そんな沢田研二さんですが、還暦を迎えられて以降の近年は、「歌いたいことを歌う」本物のロッカーに】

還暦記念作品として2008年にリリースされたアルバム『ROCK’N ROLL MARCH』以降の今の沢田研二さんは、自身の作詞による『我が窮状』や、30年以上会えないでいた旧友の瞳みのるさんに「一度、酒でも飲まないか」と呼びかけた『Long Good-by』などで顕著にみられるように、「自分が歌いたいことを歌う」、「自分がいま歌わなけれないけないと思うことを歌う」といったスタンスに徹しておられ、ご本人の望みでもあったであろう「本物のロッカー」としての道をまい進していらっしゃいます。

近年の沢田作品の素晴らしさは筆者の力量で表現できる域を超えています。Web上でどなたでも見ることができるものをいくつかピックアップしておきますので、是非ご覧になってみてください。
<参考:沢田研二 我が窮状 
<参考:Long Good-by ジュリー祭り

このような還暦を迎えてからの沢田さんのロック・ボーカリストとしての姿勢に対し、沢田さんと同い年で詩人のねじめ正一さんは「スポンサーもメジャー資本もなし」であるからこそ、歌いたいことが歌えるのだといった趣旨の賛辞を送っています。

また小説家で童話作家の江國香織さんは沢田さんの歌声について、60歳を過ぎているのに「ジュリーの声は甘く透明なシロップの川」のようであると絶賛しています。この江國さんの表現は、おそらく地球上の全女性の「歌手としての沢田研二観」を代表しているものと思われ、最後にそのことを読者のみなさまにも確認していただけるように、近年の沢田さんが『君をのせて』を歌っているところの動画をご紹介だけして、しめくくりたいと思います。
<参考:沢田研二 君をのせて




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(女子のお悩み解決コラム -WomanNews ウーマンニュース-)