斎藤環(さいとう たまき)さんという精神科医がいます。青年期の精神病理学が専門で「いじめ」や「ひきこもり」の実態にも詳しく、漫画評論家の顔も持つ、筆者と同世代のお医者さまです。今のわが国の精神医学的風潮を「ヤンキー化している」という独特な捉え方で、説得力のある論評を展開していらっしゃいます。

その斎藤環さんが、アニメ映画界の巨匠・宮崎駿監督のことを、「女子たちの恩人」としてその貢献度について評価していることをご存知でしょうか? なぜ、宮崎監督は女子たちの恩人なのか。それは、「宮崎アニメ」のおかげでロリコン男子たちが、たとえ少女のことを好きであってもその気持ちを「想い」だけにとどめるというモラルを身につけたため、女子にとっておそろしい性犯罪に彼らを走らせないことに多大な貢献をしたという点においてなのです。

【宮崎アニメのヒロインたちは、ロリコンでない男性にとっても魅力的】

たしかに、「宮崎アニメ」に登場する主人公の女の子たちは、一般に「ロリコン」と呼ばれるような感性を持った男子(男性)にとって、とても魅力的です。『となりのトトロ』(1988年公開)の草壁サツキは小学校の6年生、12歳ですが長期にわたって入院中のお母さんに代わって4歳の妹・メイの世話をしている、しっかり者のお姉さん。

『魔女の宅急便』(1989年公開)のキキは13歳。魔女の世界では独り立ちしなければならない年齢になったことから、期待と不安に満ちた見知らぬ街での新生活を始めます。『耳をすませば』(1995年公開)のヒロイン・月島雫は中学3年生の「自分など何の目標も持っておらず、これといった才能もない」と思い込んでいる女の子です。『ハウルの動く城』(2004年公開)の主人公であるソフィ・ハッタ―は18歳。魔法でお婆さんの姿になってしまいますが愛するハウルのことでムキになると18歳の少女に戻ります。

『コクリコ坂から』の松崎海は高校1年生の女の子ですが父親を海で失くし学校がおわると家業の下宿屋を切り盛りしている健気な女の子です。憧れの先輩が「もしかしたら実のお兄さんなのでは?」という疑惑が生じたときも、「あなたがお兄さんであろうがなかろうが、あなたのことが好き!」とハッキリと言うことのできる、素敵な女性です。

ロリコンでない筆者でも、本当に愛しく思えてならない女子ばかり。このような女子たちが主人公を張るところこそが、「宮崎アニメ」の真骨頂であり、ロリコン男子たちにとってはたまらない「夢の世界」なのでありましょう。

【ロリコンがペドファイルとなって性犯罪を犯すのを、宮崎アニメは阻止してくれた】

さて、本題に戻りますが、斎藤環さんによると「ロリコン」は精神医学用語ではないそうで、医学的に存在する概念は「ペドファイル」(小児性愛者)というもの。13歳以下の未成年に対して性的な欲望を抱く16歳以上の人のことを指すようです。斎藤先生の説明によれば、人間は幼少期においては誰でも世界に対する万能感を持っており、そうであるが故に大人になることを拒絶する(これを「去勢否認」と呼ぶそう)。

ペドファイルの人も成長につれて自分が万能でないことに気づく(これを「去勢」と呼ぶそう)ので、異性愛という<一般的、世間的に“常識”とされる>傾向へ向かい、性的成長を遂げる。しかし性的成長の過程で、中にはロリコンやペドファイルへと後戻りしてしまう人もいる。ロリコンで留まっている限りにおいてはイメージの世界だけで楽しむことができるが、ペドファイルになってしまうと実際に少女に手を出してしまう人がいて、悲しく怖ろしい性犯罪の原因となる場合がある。これが斎藤先生の見解の主旨です。

斎藤環さんは、宮崎アニメというロリコンが根底にあるものの文化としてとても気高い作品を「空気のように受け入れる」ことによって、ロリコンの人々が「幼女は好きだけど、触らない」というモラルを基本的に身につけてこられたのだとおっしゃいます。

だからこそ、宮崎駿監督は女子たち(あるいはまた男子も含めたすべての幼い子どもたち)の恩人だということなのでしょう。宮崎駿作品に代表されるようなわが国の<気高いロリコンカルチャー>は、子どもたちの性犯罪被害を食い止めるうえでもグローバルに広げるべきだという斎藤環さんの考えに、筆者も賛成です。
<参考:精神科医・斎藤環氏、かく語りき「ロリコンよ、アニメで大いにヌキなさい!!>



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(女子のお悩み解決コラム -WomanNews ウーマンニュース-)