経済や社会の劣化が叫ばれて久しいわが国ですが、女性にとって経済社会の劣化を示す例にはどのようなものがあるでしょうか。「学校を卒業して初めて就職するときに正社員として採用されなければ、生涯を通じて“下流”の生活を余儀なくされる」、「賞与も退職金もない、その日を暮らすだけの賃金しか貰えない非正規雇用の身で、人生に“希望”だとか“夢”を持てるなんてことはありえない」、「派遣社員どうしの結婚でも二人で働けば子どもは持てると思っていたのに、妊娠を報告した途端にマタハラの派遣切りに遭い、その後は無職。子どもが生まれても育てていける自信がなくなった」などなど。こういった話が現実のものとして身近に存在することこそが、劣化を示す具体例だと言えるでしょう。

【筆者自身、50歳を過ぎてから完全無職状態を経験し、そこから生き方を変えた人間の一人です。】

そうこうしているうちに段々と年齢を重ね、20代、30代の日々は流れ、この世の不条理を恨みながら気がつけば40代に入っていた。そんな女性は少なくないと思います。

いいトシをした筆者(2015年12月で満56歳)でも、この失われた25年の間でどんどん劣化して行くわが国の経済社会を恨んだことはありました。筆者は東京・中野で町工場を営む家に生まれて、知的好奇心が旺盛だったため学生時代からエッセイやコラムなどを書いて有名な雑誌の編集長さんから可愛がっていただいたりもしていたのですが、家業の町工場を何とか存続させたい思いが強く、そのために「情報や実務的な知識を得たい」という気持ちで、政府系の政策金融機関や医療福祉大学の職員として働き、実力を身につけたつもりで家業に帰りましたが、結果は惨敗でした。敗因は、もはやわが国の社会が零細企業などには「地球上最安値で部品や商品を納めること」以外に何一つ求めてなどいないということについて、決定的に認識が甘かったことです。
50歳を過ぎて無職になった筆者は悔しさから生き方を変えました。自分の一番好きなことを「個人」として形にして世に問い、その際に問う相手も企業とか組織・団体ではなく「個人」に訴えかける。そう決めたのです。企業に「社格」などというものはないけれど、個人には「人格(パーソナリティー)」というものがあり、それでなら何歳になっても勝負はできると考えたのです。アルバイトをして軍資金を稼ぎながら、家業を畳んだ翌年に参加したある出版社のエッセイ大賞で最終候補に残ったのが自信となり、翌年に別の全国規模のエッセイ賞を受賞することができました。一方で新聞や雑誌などのメディアには書きたいことが湧き上がるたびに迷わずコラムを寄稿し、ほぼ5割の打率で掲載されました。掲載されると1本につき平均5千円程度の有価証券が謝礼として届くのでとても助かりました。そうこうしているうちに時代はWebコラムサイトという新しい執筆のフィールドを提供してくれるようになり、家業を廃業して完全無職の状態になってから数年で、筆者は一番好きな「文章を書く」仕事でご飯だけは食べられる状態になったのです。

【キーワードは「女性」、「50歳」、「好き」、「個人」】

ただ、筆者の場合は男性ですので、このような体験談も女性の皆さんには参考程度にしかならないような気がします。しかも筆者の場合は別にまだ“成功”したわけでも何でもなく、ご飯が食べられるようになってきただけのことですので、人さまの「希望」たりえるにはほど遠い存在です。

ですので、今回は、今の劣化社会を生きる相対的「不遇」女子のみなさんに、女性も何歳からだってやり直すことができ、希望ある人生を歩むことができるということを、その実際の生き方でもって教えてくれた女性たちについて、ご紹介したいと思うのです。キーワードとしては、年齢的には「50歳」を過ぎてから頭角を現し、「好き」な仕事でもって、主に「個人」的な技能やパーソナリティーでもって勝負した「女性」たちということで、ご紹介させていただきたいと思います。

【“本物は遅れてやって来る”を地で行った歌手の秋元順子さん。メジャーデビューは58歳のとき。】

秋元順子さん。高校卒業後は石油会社で働きながらハワイアンのバンドで歌手活動を行いますが、結婚を契機にして子育て、主婦業、夫とともに家業の花屋さんの商売に勤しみます。歌手活動を再開したのは子どもさんも手を離れた40代に入ってから。昔の音楽仲間から誘われてのことでした。
再開したとはいっても旦那さまと共通の本業である花屋さんがありますから、すぐさま歌手活動に専念できたわけではなく、あくまでも商売の傍らの活動だったようです。でも、秋元さんほどの「本物の歌い手」となると、たとえ活動の場が地味なものであっても、その歌を実際に聴いた人たちが放っておくわけがありません。57歳のときに発売したインディーズのCDは“聴いた人たちが放っておかず”に、「有線お問い合わせランキング」の1位になり、58歳でついにメジャーデビュー。60歳で発売したサード・シングル『愛のままで…』は大ヒットとなり、61歳でとうとう「NHK紅白歌合戦」に、紅組史上歴代最高齢での初出場を果たしたのです。
<参考:キングレコード「秋元順子」公式ホームページ>

【「今は無収入でも“本業は小説家”」の信念でバイト生活を続け75歳で芥川賞を受賞した黒田夏子さん】

小説家の黒田夏子さんが芥川賞を受賞したのは2013年1月、75歳のときでした。黒田さんは早稲田大学在学中から同人誌を主宰する学生作家でしたが、卒業後いったんは神奈川・横須賀の女子高校で国語教師として勤務します。安定した職業でしたが、黒田さん本人にとっては(著述業でお金をいくら稼いだかの問題ではなく)「本業は小説家」でした。教師の仕事を続けていたら“本業”の小説を書く時間が持てないという理由で2年間で教師を辞め、その後はずっとアルバイトで生計を立てて行きます。
タオル問屋で名入れタオルに熨斗(のし)をかけるアルバイトや、赤坂の料亭の帳場での事務のアルバイト。フリーの校正者として女性向け雑誌の校正をするアルバイト等々。途中、26歳のときに『毬』という作品で読売短編小説賞に入選しながらそれ以降は40年近く賞への応募や作品の公表をせずにバイトで生計を立てながらひたすらに「納得のいく」小説を書くことに全身全霊を注ぎつづけます。
黒田さんがついに納得のいく作品として紡ぎ終えた『abさんご』を早稲田文学に投稿し、早稲田文学新人賞を受賞して文壇にメジャーデビューしたのは75歳のときでした。同作品はその直後に第148回芥川賞を受賞します。
<参考:2013年2月1日配信『女性自身』電子版>

【商社を寿退社するも離婚。バイトで子育てをしながら59歳で司法試験に合格した弁護士の神山昌子さん】

最後にご紹介するのは弁護士の神山昌子さんです。国際基督教大学を卒業して商社に就職。寿退社してから子どもさんを出産しますが、その後離婚。そこが波乱の人生のスタートでした。わが国の経済社会はその頃から、よほどの例外を除いて一度企業の正社員を辞めたバツイチで子持ちの女性を二度と正社員として雇用することはありません。神山さんはやむなく宅急便やポスティングなどのアルバイトやパートで生計を立て、子どもさんを育てます。
34歳のとき、パートの空き時間に立ち寄った書店で法律の入門書をたまたま手に取り、「私だって勉強すれば弁護士や裁判官になれるのではないか」と思ったそうです。それでも現実は甘くはなく、37歳から22回連続で不合格。それでも諦めずに受けた50代最後の年の司法試験に23回目の挑戦でついに合格します。神山さん59歳のときでした。61歳で弁護士となり、その後「法テラス」の一期生として北海道・旭川に赴任。現在は東京の弁護士事務所に勤務されているということです。
<参考:『苦節23年、夢の弁護士になりました』神山昌子・著 2011年いそっぷ社>

いかがですか。ご自分は「不遇だ」と思っていらした女子のみなさん、ちょっとだけ希望が湧いてきたのではありませんでしょうか? 今回ご紹介させていただいた三人のかたについては、黒田さんは「書くために、独身を選んできた」人であり、神山さんはいわゆる「シングルマザー」であり、秋元さんは「自営業者の妻」で、そういった面でも三人三様です。ただ三人に共通しているのは、貴重な自分の時間を作るために、他人が「幸福の基準」と考える物差しで、生活の手段を選んでこなかった点でしょう。人生というものを今より少しだけ大きく目を開いて見てみると、大きな会社の正社員や正職員の公務員になることが必ずしも幸せの条件ではないのだということに気づかせてもらえるように思うのです。

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