筆者がアドバイザーとして関わっているビジネスマナーのカルチャー教室に、この間久しぶりに顔を出してきました。
「ご相談したいことがあったのに。もっと豆に来てくださいよぉ」と詰め寄ってきたのは彼女が新入社員だった頃から知っている20代前半の商社勤務の女性。
聞くと、会社にパワハラ上司がいて何人かの女子社員に「給料泥棒」「役に立たない」「進退を考えた方がいいんじゃないか」などと、朝礼でみんなの前で怒鳴りつける。自分はそこまでは言われないが「いつまでも見習いじゃ困るんだよね」と仕事の未熟さを皮肉たっぷりに指摘される。で、彼女の相談とは、「パワハラ上司のことを“嫌だなあ”とは思うのだけれど、結局はいつも“まっ、しょうがないか。私が悪いんだから。怒鳴られてる人たちは私よりもっとダメだし”と妙に納得し、屈服しちゃうんです。こんな弱気なことじゃいけないとは思ってるんですけど……」というものでした。


【パワハラは人格権の侵害行為。放置できません】

彼女が自己嫌悪状態に陥っているのを見て気の毒に思うのと同時に、筆者は「しっかりしてね。毎日毎日“給料泥棒”と罵られてもその会社で働かざるをえない人のことを考えたら、あなたがその上司のパワハラ行為を“仕方ない”と見過ごしてしてしまうことは、会社の将来にとってもよくないことだとわかってね」という思いでした。
それでは何故パワハラを放置してはいけないのでしょうか。それは、パワハラが職務上の上位の権力や権威(パワー)を利用して、身体的・精神的にダメージを与える「人格権の侵害行為」であるにもかかわらず、わが国にはそれを規制する法律も行政通達も存在しないため、働く人(=パワハラを受ける側の人)の泣き寝入りに終わる場合が多い、理不尽なハラスメントだからです。
あなたにとどまらずあなたの後につづく「将来の働く女子」たちがしなくてもいい苦労をしないで済むためには、同胞女子がパワハラを受けているのを見つけたら今できる抵抗ぐらいはしておくことが、「女子たるものの仁義」であると、筆者は考えるからです。

筆者はやや気弱な女子のみなさんがパワハラに打ち克つために、パワハラというものを一度経済史と社会学の視点から考察して、そこから打倒パワハラの方法論を見つけてみたいと思います。

<参考:首都圏中央社労士事務所・労働110番『パワー・ハラスメント(パワハラ)』>


【パワハラを黙認する「権威主義」と『自由からの逃走』】

20世紀のドイツにエーリッヒ・フロムという社会心理学者がいました。この人はアルフレッド・ウェーバーという高名な経済学者・社会学者の指導の下に社会学・心理学・哲学を学び、1941年に発表した『自由からの逃走』という著書で、「自由」を手に入れたはずの近代人が成長と自己実現の危機に陥ったとき、権威への従属と自己の自由を否定する権威主義ならびに他人に対する攻撃性(サディズム)やマゾヒズムへと向かうメカニズムを解明しました。

何故このフロムの『自由からの逃走』を持ち出したかと申しますと、筆者には現代のわが国の企業社会においてパワハラをしている管理職や、パワハラをされながらも「仕方ない」と甘んじて受け入れ虐められるがままになっている人や、そういった光景を他人事のように横眼で見ながら黙認している人。彼らはみんな「自由」から逃げ、権威を求め強いものにすがろうとしているように見えてならないからです。

もう少し分かりやすくお話ししましょう。

戦後、わが国は民主化され、国民は「自由」を手に入れました。おそらくみなさんのお父様やお母様は日本史上一番自由でいい時代を生きてきた50代半ば以上の世代と、社会に出て間もなくバブルがはじけ「努力すれば暮らしは上向く」などとは信じられなくなった50代前半以下の世代との、真っ二つに分かれるのだろうと思います。
筆者はぎりぎり前者の「よかった頃を知っている世代」に属します。で、みなさんのお爺様やお婆様はといえば、これはほぼ例外なく戦後の焼け野原で苦労はしたけれど経済的には商店や町工場を経営した人も、サラリーマンとして生きた人も、等しく安定して右肩上がりの所得増を享受された方々だろうと思うのです。経済的に成長し、しかも安定した人々は「自由」です。平和な世の中で、一所懸命働いて、権力や権威を持った人にでも言いたいことを言える「自由」を保証され、家族との幸せな日常を謳歌いたしました。これが、戦後日本の高度経済成長を支えた「中産階級」の人たちです。

ところがバブルが崩壊すると、様相が一変します。中産階級程度の資本の蓄積量では、安定した日常生活は送れなくなっていくのです。商店や町工場を経営してきた人たちは廃業し、残った土地で不動産賃貸業者として再び安定した暮らしを手に入れる道を選択するか、商店や町工場ごと大手の企業に身売りし、自分自身も大手企業のサラリーマンとして生きていく道を選択したのです。
問題は彼らがささやかな安定を再び手に入れる前の「下層中産階級」だったときの状態で、この状態にあるとき人間は自由であることが辛くなります。
相当頑張って理想を追求しても経済的には苦しいため、権威に抗(あらが)う自由などにこだわるよりも、自分より地位の高い人たちに媚び、へつらい、その権威に同調して自分自身が権威・権力の側にいた方が生きるのが楽だと考えるようになるのです。

そのような時代でも自由であれるのは中産階級レベルではなく、何重もの婚姻関係によって一般市民とは桁違いの資産を手にしているセレブ(セレブリティ)たちであり、彼らこそこの社会の権威であり権力です。
彼らは何を発言してもその暮らしの安定が脅かされることはまずありません。「権威」に抗う自由を誰もが持っているにも関わらず「権威」や「権力」に追従して楽になりたいという心理こそが、パワハラをする者やパワハラを黙認する者の心理と妙に共通して見えるというところが、筆者が指摘したかった点なのです。この視点からパワハラ打倒法を考察してみたいと思います。


【パワハラ上司も、パワハラ被害を受けてる女子たちも、傍観してる気弱女子たちも、自由から逃走している】

『自由からの逃走』はフロムが20世紀前半のドイツでおそろしい全体主義がドイツ国民の民主的な選択によって台頭して行くメカニズムを解明した書ですが、その内容を踏まえて話しを現代のわが国の企業社会に横行するパワハラの問題に戻しましょう。

部下の女性たちに「給料泥棒」「のろま」「お荷物」といった暴言を吐きつづける管理職。こんな管理職がいる会社などというものは、おそらく経営者そのものがパワハラ人間である公算が高いです。
もしかしたらパワハラ上司にも娘がいて、本当はまだまだ社会経験の浅い女子社員にそういった暴言で嫌がらせをすることは、本意ではないのかもしれません。でも、彼(彼女)はパワハラをつづけます。

パワハラ上司は人として、また子どもを持つ親として、経営者に「社長。こんなやり方では会社は本質的に良くはなりません」と直訴し、彼(彼女)が考える「働く人の人権を尊重したやり方」で現場を切りまわす権限と自由を持っています。管理職なのですから。

でも、パワハラ上司はそういった道を選択することはありません。その道はとても険しく、その道を行くことはとても辛いからです。そうでなく、パワハラ上司は経営者に同調し、一緒になってわけのわからないポエムのようなものを詠(よ)み、「夜も眠らずに真理を探究すれば光が見える」みたいなことを言って部下たちに残業を強要します。
真理の探究なのですから残業代などつきません。パワハラ上司にとっては、エキセントリックな社長に逆らって逆鱗に触れるようなリスクを選ぶことなどもってのほかであり、社長の忠実なイエスマンとして動き、結構いいお給料を貰いつづけることの方が、断然楽だし、得なのです。

一方、パワハラ上司に屈服してしまっている女子たちにも自由があります。
一番代表的なのは、「そんな会社を辞める自由」です。けれど彼女たちも多くの場合、その自由からは逃走します。辞めた後の生活が、あまりにも不安だからです。それはそうでしょう。今のわが国で女子たちが新たな会社に就職することがそんなに簡単なら、誰も苦労はしません。
辞めてしまったらほとんど正社員としての再就職など考えられない社会だからこそ、辞める自由から逃げるわけです(彼女たちには「辞めない自由」もあり、上司の執拗なパワハラで「辞めない自由」から逃げて辞めてしまうという、これとは真逆なケースもあります)。

こうしてパワハラ上司は経営者にもっと前向きな業務運営方法を提言する自由から逃走し、パワハラ被害を受けている女子ならびにそれを横目で見ていることしかできない気弱女子たちは、パワハラ企業を辞める自由から逃走します。


【パワハラに勝つには、相手が「こいつはカモだ」と思っている心理の裏をかき、闘う自由から逃げない勇気を持つ】

そろそろ一つの結論を申し上げましょう。

パワハラに勝つためには、相手が「こいつは気が弱いからカモにできるぞ」と思い込んで油断している心理の裏をかいて、あなた自身が「パワハラと闘う自由」から逃げずに、パワハラと闘う勇気を持ってください。フロムが分析した20世紀ドイツの全体主義的な体制も崩壊したように、名前は出しませんが極端なパワハラ企業は少し長い目で見ると、みんな最後は潰れています。
筆者の知り合いの女性が勤務する中規模の専門商社にも、行政から言われて仕方なく設けているだけの部署ではあるかもしれませんが社内の「ハラスメント相談窓口」があります。
先ずはこういった窓口に会社に対する要求を申告してください。「こういう言葉を使わないでほしい」「大声で怒鳴らないでほしい」など、いろいろあるでしょう。要求は必ず書面で、控えをとったうえで申告し、たとえ名ばかりの相談窓口であったとしても、「名ばかり」という事実が法的に闘う場合のこちらの主張材料にもなりますので、どんな態度をとられても決して諦めないでください。

冒頭で申し上げましたように、わが国にはパワハラを取り締まる法律も行政通達もないためパワハラ問題は労使紛争の範囲に入りません。そこが難しいところなのです。
弁護士に委任して法的に闘う場合でも、パワハラ上司(加害者)と労働者対労働者の関係において民事上の不法行為責任を追及するという形が一般的となります。それだとしても、道はあるのです。

教室が終わった後、商社勤務の女性にこのようなことを話していたら、あっという間に1時間が経っていました。で、最後に、彼女よりもっとひどいパワハラ被害に遭ってるいる女性たちが無料で法律相談できるように、「法テラス」のサポートダイヤルの番号を、彼女にお教えいたしました。

●法テラス・サポートダイヤル 0570―078374

「弁護士に相談するお金なんて……」と不安に思っている女子でも遠慮なく相談できる窓口です。

<参考:パワハラでお困りなら|法テラス>
(http://www.houterasu.or.jp/service/roudou/power_harassment/)


【自分の仕事(天職)と自分の日常(共同体)をしっかり持てたらいいですね】

おしまいに申し上げたいのですが、フロムが『自由からの逃走』全編を通して本当に訴えたかったことは、一つめは権威主義に陥らず自由でありつづけるためには、一人一人が自分自身の持つ技術、自分自身の持つ魅力で“ご飯だけは食べられる”ようになること。ハンディキャップがある人ならハンディキャップがある人なりの技術や魅力、弱い立場にある人なら弱い立場にある人なりの技術や魅力で、です。

そして二つめは、一人一人が大切な人と過ごす日常の幸せに立ち戻り、ひとりじゃなんだから必要以上に権威を恐れないことです。女子ならば好きな男子(恋人、夫)でもいいし、シェアハウスで一緒に暮らす女子友でもいいし、地元の仲間たちでもいいのです。
自分の仕事(天職)と自分の日常(共同体)をしっかり持つことができれば、権威など何も怖くなどありません。パワハラ上司が「参りました」と言うような仕事をして見せつけるのが理想です。

そこまで到達する前に折れてしまわないように、今は「法テラス」等に相談してみてください。




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