「今のわが国の貧困は、誰の目から見ても一目瞭然な「絶対的貧困」ではなく、一見するとそうとはわからない「相対的貧困」である。」こういう趣旨の主張を一貫して発信されている社会保障論の研究者がいます。首都大学東京教授で国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部長の阿部彩(あべ あや)さんがその人です。

【子どもが「当たり前の暮らし」を送れない“相対的貧困”とは】

たしかにわが国では、屋根のついた家で寝ることができずに子どもが路上や公園に寝泊まりしているといった光景を見かけることはほとんどありません。そのような貧困の状態を「絶対的貧困」と呼びますが、その意味では「日本には貧困の問題など存在しない」と言いたがる政治家のセンセイがたは正しいのかもしれません。

しかし、阿部彩さんはそれを「とんだ見当違い」だと断言します。いやしくも先進国と呼ばれる国では、貧困かどうかは<その時代のその社会において、一般市民が“当たり前”と思っているような生活を送れないこと>で決まるのだというのです。それを「相対的貧困」と呼ぶわけですが、もう少しわかりやすいように例をあげてご説明しましょう。

・飢え死にするわけではないが、夕食はカップラーメン1つ食べるだけで精一杯の世帯収入しかない。
・親戚や友人の結婚式に呼ばれても、お祝いを払えるようなお金はない。
・中学生の娘に新しい下着を買ってやることができないため、よれよれの黄ばんだ下着で修学旅行に行くことをためらった娘は結局、修学旅行を欠席せざるをえなかった。
・就職活動はしたいがスーツを買うだけのお金の余裕がなく、できない。
・家賃や電気代、ガス代、水道料金さえも、収入が足りなくて滞納してしまう。
・本当に収入が足りなくて給食費が払えないでいるのに、まるでモンスターペアレントのように言われる。
・市立中学校に進学したが、小学校と違って制服があり、買うお金が無い。だから入学式にも行けないし、授業が始まるようになってもこのままでは登校できない。

いかがでしょうか。相対的貧困がどういったものか、イメージしていただけたのではないでしょうか。この例にあるような「餓死するわけではないけれど、生きるのがとても辛い」相対的貧困状態にある人というのは、このコラムをお読みいただいているみなさんの身近にも、きっといるはずです。
<参考:『ニッポンの貧困』(阿部彩・著)2015年5月26日、6月8日、6月16日、7月7日、7月27日 「マイナビ・ニュース」>

【わが国で独り暮らしをしている勤労世代の女性は3人に1人以上が「相対的貧困」状態】

阿部彩さんは最新のデータから、「当たり前の生活」ができない確率が高まるのは年間の手取り所得が122万円以下(一人世帯の場合で)の人々であると指摘します。そして、今の日本の相対的貧困率は厚生労働省の推計で16%、つまり6人に1人が相対的貧困の状態にあるが、近年特に急激に貧困率が上昇しているのが勤労世代(特に20歳代)の独り暮らしの働く女性で、3人に1人以上が貧困の状態にあると言われています。

日本の貧困の特徴として、いわゆる母子世帯に圧倒的に貧困世帯が多いという点が挙げられますが、このような相対的貧困家庭のお子さんたちは小学校の段階でもう、「自分はまともな仕事に就いて、家族を持ってまともな人生を送ることが難しい」ということがわかるような状況になってきていると、阿部彩さんは指摘しています。

実際、学業成績が親の収入に正比例することが最新の調査で明らかになっていますし、一定の学力を身につけていないとクリエイティブな仕事に就き、活躍することが難しいのは事実です。子どもの素晴らしさというのは、誰もが夢を持てることであるはずなのに、現実のわが国は相当数の子どもたちが「自分は宮崎駿監督のようになることはできない」とか、「低学年の頃はゲーム・クリエイターになりたいとか思っていたけれど、自分の家の経済状況ではコンピュータのプログラミング言語を学ぶような機会は持てないから、そんな夢は叶わない」といったように、人生の早い段階で「夢を諦めることを強いられる」国になってしまっていると、阿部彩さんはおっしゃっているのです。
<参考:『外観からは判断できない、しかし深く浸透している「日本の貧困」について考える』(阿部彩)2014年6月30日~7月3日FM TOKYO「未来授業」をNEC『WISDOM』が掲載したもの>

【相対的貧困問題の解決策】

近年、戦後から昭和30年代、40年代あたりまでのわが国の社会を懐かしむ、いわゆる「昭和レトロ」といったものが映画界でもテレビドラマの世界でも好評を博する傾向があります。これにはれっきとした理由があります。この時代のわが国は、みんなが焼け野原から同じスタート地点に立ったので、格差のない、本当にいい社会だったのです。

『ALWAYS 三丁目の夕日』にしても『地下鉄に乗って』にしても『梅ちゃん先生』にしても、登場する人物たちがみんな人として平等なのです。実際、筆者も昭和30年代前半(1950年代後半)の生まれなので、1960年代から70年だにかけてのわが国がどれほど「自由」で「希望」を持てたかということを肌で知っております。

それでは、どうしたら「新品の下着が買えず修学旅行に参加することを諦めた女子」をなくすことができるのでしょうか。筆者などは折に触れて、相対的貧困の状態に苦しんでいる女子のみなさんをメンタルな面で応援しながらちょっとした「こうしてみたら?」をコラムに書いて発信しています。

けれど、これは冷静に考えれば「焼け石に水」に近い行動であることも、残念ながら事実です。これほどまでに「働き方の一方の主流」として浸透してしまった非正規雇用というものを、減らすことは難しいからです。それどころか、現時点で働く人の4割を占める非正規労働者の人は今後、5割、6割に増えて行くと考えた方が現実的です。

阿部彩さんはこの問題に関して、「若い人たちがもっと声を上げていくしかない」と、おっしゃっています。「若者に、単純労働よりもうちょっと付加価値の高い仕事をくれ!」、「今のままでは若者が人生に意味を感じることができなくなってしまう!」といったように、声を上げつづけてほしいというのです。

若い人たちがこのようなやり方で頑張れば、「こういう社会を変えなければいけない」という気運が高まるであろうという点については、筆者も全く同感です。阿部彩さんの言葉を借りれば「生まれたときから平等な社会を経験したことがない今のわが国の若い人たち」だからこそ、声を上げさえすれば、筆者たちの世代が持ちえないパワーを発揮できるはずだろうと思うのです。

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