画家がキャンバスに向かい、色を置き、絵を書こうとしている時、隣で理論家に「こっちの色を使った方が良い確率が高いですよ」等とアドバイスされても、ありがたくは思わないでしょう。「バカにしているのか、邪魔をしないでくれ」と、画家は腹を立ててしまうはずです。

ある意味で、画家の挑戦は一筆ごとにそこにいかなる色を置くかという決断を、常に迫られる決定論的な世界でしょう。この確率論と、決定論との世界観の相違は、超え難い隔たりがあるのです。

しかし、両者の相違については二つの問題点に注目すべきでしょう。ひとつは誤差の解明です。平均的傾向であれば、製作者の側からは感動はありません。オリジナリティも感じられません、製作者たちは新しい価値の生産を目指します。その意味では、統計的には誤差、異常値とされる中に、あるいはそれを発展させたところに何か感じられるものが潜んでいるかもしれません。

そして、個人差の問題があります。画家はむしろ他者との違いにオリジナリティを見出そうとします。それこそが個性であり、個人様式の確立である。計量学的な研究からも、人によっての良さの基準は異なると言われています。ただ、巨視的には判断の基準は十人十色ではなく、限られた数の基準には集約できそうです。こうした「人々をまとめる」という発想自体が、画家をはじめとする芸術家たちの思想と相容れないのでしょう。

ゲーテの言葉から

「画家はこれまで、色彩、およびそれに関連することについての理論的な考察をことごとく恐れ、あからさまに嫌悪さえしてきたが、これを悪く言うことはできなかった。というのも、これまで理論的なものと言われてきたものは根拠を欠き、頼りなく、むしろ経験的と言っても良いモノだったからである。本研究がこの嫌悪をある程度和らげ、ここに打ち立ててきた色彩論の諸原則を芸術家諸氏が実地に生かしてくれることを願ってやまない。

恋人の愛情を数学的に定義できないからと言って、恋人の愛情を信じようとしない人がいたら、それこそ狂気の沙汰ではないでしょうか」

ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家として活躍したゲーテには、「色彩論」という大著があり、「わたしのあらゆる文学作品が滅んでも、色彩論は不滅であろう」と自信を語っています。もっとも、彼は典型的な躁鬱気質なひとですから、感情の高ぶりからの一言かもしれませんが、それほど彼もこの「色彩論」には強い意志と思い入れがあったのでしょう。

彼は、画家たちが自分の理論を用いてくれるはずだと期待していますが、その後今日まで彼の理論に則って描いたという画家はおそらく少数派でしょう。

でも、私も油絵を描く人間なので、実際絵を描くときに色彩論を担ぎこむか、と言われるとそこはハテナ?です。頭の中や自分の感覚に自然に刻み込まれて、それにそったモノは自然と使っているかもしれません。けれども、あ、ここはゲーテがこう言っていたから。何色にしましょう。ここをこうしましょう、とはまず考えません。

絵を描くというのは、もっと衝動的で感覚的なモノであり、使う脳みそがそもそも違う気がします。私が詩人として、文豪として、色彩心理者、哲学者として尊敬するゲーテへの、唯一の反抗点は、その辺のくだりです。まあ、自分の色彩感覚を認めて欲しかったが故の言葉なのでしょうけれども。分からなくはないです、でも芸術というのはやはりもっと本能的で感覚的なモノなのです。人を感動させるようなものなら、それはなおさら。

もしくは、完全に完璧に計算して作り込まれた驚異的な存在。そのどちらかです。

私は、前者の方が人間くさく、本能を刺激されるので好みです。自分の音楽や詩や絵等の作品もそうであって欲しいと願います。寸分の狂いもない完璧な存在は、見事とは言えど、可愛らしくはない。敬意は抱けど愛着は沸かないでしょう。

ゲーテよ、私は素晴らしき詩人で文豪の論理者の貴方を、心から尊敬はすれど、全てを鵜呑みにはできません。私も小さくも一つの哲学をもつ、芸術家肌の人間なので。



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